明治天皇と日本刀
展覧会公益財団法人日本刀文化振興協会
改めて申し上げるまでもなく、天皇家及び皇室と刀剣とは大変古く深い関りがあり、記
紀中に多数の記述が見られる他、『栄花物語』などには皇子誕生に際して天皇から御剣が贈
られることが吉礼として記されている。守刀の習慣が古い時代からあった例でもある。
一方で海外派遣の大使、反乱の鎮撫、出征赴任の将軍に天皇から授ける刀剣は、「節刀」
と称され朝廷の権限の全権委任の風習として、武家政権となる鎌倉時代まで続いたものと
思われる。
長い武家社会を受け、明治政府が樹立され諸制度、社会秩序そのものが大きく変貌を遂
げる中、明治 5 年に徴兵令、同9年には廃刀令が発布され、当然刀剣もその役割に終止符
を打たれることとなる。
需要がなくなったことにより、刀鍛冶及びその周辺の刀職者が職を失う。刃物、農具鍛
冶に転向し糊口をしのぐ者、中には廃刀令を悲観して自刃するものまであったという。
刀職者の多くも職を失うが、金工の加納夏雄、海野勝珉、漆芸の川之辺一朝、柴田是真
は明治という時代の潮流に乗り、美術工芸に道を見出し大きく花開くことになる。
軍装に用いられるサーベルなどは洋式ではあったが製法は日本刀古来のものであり需要
はごくわずかであった。明治23年に帝室技芸員が設立され、同39年に月山貞一、
宮本包則の2名が任命される。
明治天皇は無類の愛刀家として周知されている。今日でも宮内庁、東京国立博物館に所
蔵される多くの名刀は、明治天皇の日本刀好きを聞きつけて旧大名家などから献上された
ものである
また日本刀製作技術をはじめ我国独特の伝統技術の保存を目的に明治33年に「中央刀
剣会」が設立されたが同会は明治天皇より多大な支援を賜った。
先の大戦後、暗い一時期を越えて再び、今日の日本刀文化の隆盛をみたとき
明治天皇の存在の大きさは計り知れなく、そのご恩にお応えするべく日本刀及び刀職技術
の展示には深い意義がある。
